コンフォートゾーン、入ってますか。
心地よい環境に居続けるというのは、別に悪いことだとは思いません。心地よい環境で、好きな人に囲まれながら、楽しく人生を生きていく。成果を出していく。好循環です。
ただし、そのような心地よい環境に居続けていると、僕は徐々に怖くなっていくんですね。性格なのでしょう。このままこの心地よさに慣れてしまうと、次のチャレンジができないんじゃないだろうか。ストレス耐性が失われていくんじゃないだろうか。
そうして、気付いたらコンフォートゾーンから抜け出している。
隣の芝生が青いから抜け出す、というのは少し違います。自分の芝生が十分青いのに、わざわざ芝生がボサボサの隣の芝生に分け入っていく。そんなイメージ。
結局、根無し草なのかもしれません。
コンフォートゾーンから抜け出すの、結構勇気入りますよね。でも、一回抜け出してしまうと、それが逆に気持ち良かったりもする。チャレンジできているなー、と実感できている状態ですね。それを通じて、成長できているなー、と感じている瞬間ですね。
もしコンフォートゾーンから抜け出したいのに抜け出せない人がいたら、想像力を働かせてみてはどうでしょうか。その心地よい環境に居続けた時の自分と、新しいチャレンジをして成長した自分。どっちになりたいか、どっちの選択を決断したいか。
生きている間ずっとストレスを受け続けているというのは辛い状況ですが、一方で心地よい環境に居続けるというのもつまらない。いつ挑戦し、いつ休むか。そういう決断をしているのです。
コンフォートゾーンから抜け出さないのが、自分の決断の結果なのか、決断できていない証拠なのか。コンフォートゾーンにいるかどうかより、こっちの方が重要です。
もし、ただ決断できていないだけなら、しっかり向き合ってみる。数年後の自分をイメージしている。
僕が最近 Podcast を始めたのも、数年後の自分を想像した時に、いつまでも自分の話にコンプレックスを持った状態であり続けたくなかったから。それより、自分の恥なんかは捨てて、Podcast を始めてみよう、と思ったわけです。
自分一人の恥じらいほど、安い払いものもありません。恥を感じたところで、誰も知らないし、誰も損しない。どんどん恥じらいを払ってもっと価値あるものに変えていきたいものですね。