DDIA 本の Bookclub を完走した

Yosuke Asai さんと一緒に運営しているポッドキャスト のサブプロジェクトとして、2023 年夏頃から "Designing Data-Intensive Applications" のブッククラブを開催してきた。彼が主体的に運営企画から実施計画まで行ってくれた。

先日、最終章の回を迎えた。人によっては毎週5〜6時間の準備期間を費やしており、妥協を許さない前向きな参加者ばかりだった。事前に書くことが求められている読書ノートは、念入りにリサーチされた考察や参考文献へのリンクでごった返し、しかも各参加者の興味関心に沿って多様な観点からのツッコミが入るために、事前に読むたびにいつも新しい発見のある神秘的な場所だった。参加者の熱気と達成感に包まれ、高揚感の漂う中、無事一人も脱落することなく最終回まで完走したのは、何かチームスポーツで大会に勝利した時のような謎な連帯感をも伴う感極まる瞬間であった。

本を読む、という行為は往々にして孤独である。本の向こうにある著者と向き合い、時には対峙し、意見を戦わせ、昇華させるように自分の理解を深めていく。それが技術書である場合、時には手を動かしてソースコードを書き、テスト環境にデプロイし、実際の動きを見ながら観測していく。本に書かれている内容が間違っていたり説明不足であったりする場合も時々あり、そのような時にはまるで砂浜で誰かの落としたコインを見つけたかのような気持ちになる。

だからこそ、信頼できる他者と議論する必要がある。そこで見つけたコインが、本当に価値のあるものなのかどうか。自分が本から得た知識が、独りよがりになっていないか、視野狭窄なものではないかを、誰かの力を借りて確認する必要がある。輪読会やブッククラブ、仕事上がりのバーでの友人との語らいは、そんな自分の未知・未熟さを振り替えるまたとない機会を与えてくれる。今回のブッククラブの中で「知らなかった」と言った数だけ、私は新しいことを学んだ。

今まで、社内で開催されるブッククラブには何度も参加してきた。学生時代は自分自身で企画・運営していたこともある。しかし、今回のブッククラブの(私にとっての)新しい点は、社外のソフトウェアエンジニア仲間と運営し、かつ成功裡に終わったことである。社内の同僚との人間関係は築きやすく維持しやすい。コンテキストを共有しているので、話も弾みやすい。しかし、同質的なコミュニティにいると、意見や価値観は凝り固まってしまう。乾いた粘土のような、硬直しかけている自分の価値観に、多様な意見をぶつけて、壊しにいく必要がある。ただ他社の人間と雑談をするだけでは強度が足りない。同じトピックについて徹底的に向き合うような真剣なプロセスを得ないと、自分のステレオタイプや偏見は簡単に壊れないし、伸びた鼻はなかなか折れない。

本を読むという行為は、実は活字を目で追う行為だけでは完成しない。立ち止まって考え、時には現実へのアクションとして行動し、自分の理解を二回も三回も確かめながらより正しい道筋を探っていく。時を経て読み直すことで、過去の過ちに気付いたり、新しく発見したりすることもあるだろう。本に書いてあることは絶対ではなく、盲信すべきものでもなく、あくまで思考の発端を与えてくれるきっかけに過ぎない。思考が暗闇にゆらめくか細いキャンドルのライトのようなものだとすると、本のような媒体はライターと言い換えても良いかもしれない。そしてその思考の灯火を燃やし続けるためには、自分の持つライターだけでは、足りないのだ。

2023-11-17