「好きなことで仕事する」。
「好きなことだけで生きていく」。
本を読んだりブログを読んでいたりすると、時々そんな言葉に出会いますよね。好きなことをし続けて生きていこう、みたいな。
大前提として、僕はその考え方には、すごい共感しているんです。だって、好きなことして生きていたら楽しくないわけない。嫌いなことを無理矢理やり続けていっても、人生楽しくない。何のために生きているの?ってなる。
社会構造が変わって、テクノロジーが発展して、好きなことを仕事にしやすい土台が築き上げられている、っていうのも分かる。
...ただ、時々この言葉が一人歩きしてシンプルに捉えすぎられてしまっているんじゃないかな、って思う時がある。
まず、継続性の話。好きなことで生きていくって言われると、「好きなことであれば、誰からも評価され続けなくても、やり続けることができる。やり続ければいつかは芽が出る」 みたいに聞こえてくる。僕は、これは違うと思っている。
好きなことだって、誰からも評価されなかったり仲間ができなかったりしたら、続けるのって結構しんどい。「ただひたすらやり続けよう」っていうのも、単なる根性論 にも聞こえてしまう。努力の方向性を間違ってしまいかねない。続ける過程でたくさんの失敗をして、試行錯誤をして、脳みそが溶けるくらい「あーでもない」「こーでもない」って工夫を凝らして、だからこそ続けられる継続性って、あると思うんです。
そして、価値創造性の話。好きなことかどうかに関わらず、誰かの生活をちょっと良くするとか、誰かの不満を解決するとか、社会の役に立ってこそ初めてそれが「仕事」になるんだと思うんです。
給与って、天から降ってくるものではないんです。価値貢献をし、社会を昨日と比べてちょっとでも良くできたからこそ、その対価としてお金が支払われる。好きなことでも、それが価値を生み出さなければ、独りよがり なんじゃないかな。
最後に、木を見て森を見ずって話。世の中って、好きなこともあるけど、嫌いなこともいっぱいあると思うんです。嫌いなことや目を逸らしたいことにも、きちんと目を向けて生きていかなきゃいけない時だってある。
そうした「好き」の反対にある事象に対して、誠実に向き合い、乗り越える努力をし、克服する 過程を経たからこそ見える世界って、あるんじゃないだろうか。
だから、もし僕が言うなら、「好きなことで価値を生み続けよう、そうすれば、それが仕事になって生きていけるよ」 って言いたい。少なくとも、長くてキャッチーではないけれども、未来ある若者の努力を無駄にしてしまうような誤解は避けられるんじゃないかな。