junaida さん (junaida.com) という絵本作家をご存知だろうか。僕は、彼の描く絵が大好きだ。彼の作る世界観、不思議な、それでいてどことなく懐かしさと暖かさを含むような、しかし時折冷たくて恐ろしい牙を見せるような、純粋で且つ複雑な、その世界が、好きだ。
日本に一時帰国したタイミングでたまたま MOE という絵本をテーマにした雑誌を購入することができた。そしてその号が、まさに junaida さんをフィーチャーした回だった。付録についてきたポスターは僕の部屋の中で主役とも言える存在感を放っている。家宝だ。
僕が最初に手にした junaida さんの本は "Michi"。言葉のない絵本。少年と少女が別の旅路で人々と出会い、最後に二人が手をとり別の世界に足を踏み出していく。シンメトリーが美しく、二人が訪れる街に佇む風景や住民の日常が愛おしい。文字が無いからこそ、読み手の想像力という無限の可能性を持って、絵本の世界に入り込んでいくことができる。
"の"に描かれる円環の世界線には、一読した瞬間から引き込まれた。そのあまりの衝撃に、言葉を失った。物語としても、絵としても、完成している。一人の少女の、お気に入りのコートの、ポケットの中のお城から始まる、ひと紡ぎの物語。「の」という助詞の、たった一文字のその無限の可能性に、胸をときめかせる。
異形の者たちが闊歩する"怪物園"は、その不気味な姿形に宿る愛嬌と、その飛び回るようなストーリーの展開に、ページを捲る手が止まらない。怪物の世界と、家に閉じこもる少年少女たちの空想の世界の対比。暗闇の中を行進する怪物たちの目に宿る哀しさと、怪物を避けて家の中に隠れながらも想像力を膨らませてカラフルな空想世界に飛び出す子どもたちから溢れる躍動感が、ふとした刹那に交差する。この本を読み終えた瞬間、この世界のどこかで今もきっと怪物園が歩いているんじゃないか、そんな気にさせられる。
物語として一番好きなのは"街どろぼう"。たったの31ページ、されどそこに隠された「孤独」と「友情」という永遠のテーマに、僕は心を打たれた。それも、正面から、ドーンと。寂しさを乗り越えようとした主人公の巨人は、一緒に暮らす相手を求めて街にある家と家族を一つ一つ盗んでいく。でも、その果てにあるのは、満たされない巨人の心。それを埋めるのは、誰なのか、何なのか。自己を巨人に投影して読んでしまう人もいるんじゃないだろうか。きっとその孤独は埋められるよ、という優しいメッセージが詰まった、暖かい一冊でもある。
極めつけは、昨年発売された"EDNE"。あの児童文学の傑作『モモ』でも有名なミヒャエル・エンデの『鏡のなかの鏡』へのオマージュとして描かれた一冊。古来から人類が魅せられた、鏡の持つ魔力。鏡の向こうの世界には、きっと別の世界があるんじゃないだろうか、子供ながらにしてそんな空想をしたことはないだろうか。この本に展開されている奇抜な時空間を見ていると、どこかそれが真実のように聞こえてくるから、不思議だ。
その junaida さんが、絵本の持つ可能性について語っているインタビューが、冒頭の MOE 2022/8 月号にヨシタケシンスケさんとの対談という形で掲載されている。ヨシタケシンスケさんも、『こねてのばして』や『りんごかもしれない』で人気を博している絵本作家だ。
カテゴリとかってあまり意味ないなと思っていて。音楽ならクラシック、ロック、パンクとか、CD屋さんで棚がわかれているけど、それが絵本コーナーではごちゃ混ぜになっている、混沌とした面白さ。で、子供達は境界線なく楽しむ目を持っているので。
絵本には、カテゴリがない。そして、子供を持つ親としても実感するのだが、どんなストーリーも、ありのまま取り込み、素直に感じる。面白いものは面白い。つまらないものはつまらない。怖いものは怖い。優しいものは優しい。
そのカオス感みたいなのも。自分自身を振り返っても「ここから大人」っていう明確な境界線って、ないじゃないですか。絵本は本来全ての人が楽しめる分野だと思うし、そういう者でありたいですね。
世界は、カオスで複雑だ。それが理解不能だからこそ、人は切り取った情報で判断し、メンタルモデルを駆使して部分的理解をし、ラベリングをして他人を枠に当てはめる。そして社会が安定して回っているかのような錯覚を覚えながら、ブラックスワンに怯えながら、生きている。でも、「カオスをカオスのまま受け入れる」というのが絵本の醍醐味だとしたら。絵本に優しさを感じるのは、その「複雑なものを複雑なもの受け入れる」という存在価値に寄与しているのかもしれない。「ありのままを受け入れる」とは平易に語られがちな言葉だけれども、実はそれを昔から体現しているメディアは、数十ページの、このシンプルな、絵本なのかもしれない。
子どもたちは、そんな絵本の懐の広さとカオス感に包まれて、成長していく。きっと、それは大人も同じなのかもしれない。