能ある鷹は爪を隠す。勇猛な鷲は空高く飛ぶ。

この記事は、日本人として、欧米環境で働く私の最近の葛藤であり、キャリアに対するモヤっとした悩みの言語化の試みである。

A wise hawk hides its claws,
and a fierce eagle flies high.
I dreamed of being brave like hawks,
and dreamed of flying high like eagles.
...
One day, I realized
I can fly like a bird of passage,
who knows its own weakness,
who knows how high the sky is.
...
Hawks will never show their claws,
eagles will fly too high to fail,
but birds of passage know where to go,
and who to go with.

勇猛な鷲は空高く飛ぶ

欧米環境で働く日本人の友人や同僚と話すときに盛り上がる話題の一つが、キャリアの話だ。お互い価値観も文化も違う海外で努力しているという背景があるので、目的も悩みも共通していることが多い。自分の失敗談を共有すれば一緒に笑い飛ばせるし、他人の成功談は学びの糧にもなる。真面目なトーンで話せば参考になるネタがどんどん出てくるし、お酒の場で話しても大抵面白い。

そんな場で時々話題になるのが「自分の仕事の成果をしっかりと宣伝しないと誰にも気づいてもらえない」という話だ。要するに、自己アピール。自分の成果を、いかに上司や同僚に伝えるか、ということだ。

私の働くソフトウェア業界に限らず、外資銀行や商社・コンサルタントまで、海外で活躍するあらゆる日本人による工夫や推しのアピール戦略は、ブログから SNS、YouTube のような動画コンテンツの場まで、あらゆるところで喧伝されている。

「誰も気にしないので思いっきり宣伝するべき」という人がいる。「データや数値で評価できるポイントを可視化するべき」という人もいる。「プレゼン資料を作って評価面談の場に臨むべき」という人がいる。「"作文"(評価のために自己アピールすることを揶揄した表現)が不要な職場に転職して技術を磨くべき」という人もいる。

全て同感である。郷に入りては郷に従え、というではないか。そこで求められる環境で、求められる立ち居振る舞いができる人が評価されて、当然だ、という価値観である。

一方で、盲目的にそれらのアドバイスに従うことに、恐れもある。そして、盲目的で過信的な他人の追従は、時として歪みを生み出す。

履歴書に過去に携わったプロジェクトについて言及する時に、自分の成果を二倍にも三倍にも誇張して書くケースを見る。リーダーをしていないのに、"リーダー"に成り上がってしまう。端っこの開発メンバーにすぎないのに、"中心メンバー"に変身してしまう。インタビューで突っ込まれると簡単に化けの皮が剥がれてしまうのだが、「みんなしているから問題ない」「それが前提で面接官も構えているから問題ない」と勧めている声も聞く。

なにか、おかしい。少なくとも僕は、そこに違和感を覚える。嘘が前提の社会には生きたくない。「表現の仕方を変えているだけだから、嘘ではない」という反論もあるが、それは間違いだ。嘘は、嘘である。少なくとも、誰かがそう指摘し続けなければならない。

勇猛な鷹は空高く飛べる、かもしれない。でも、高度の高い場所では、低い場所とは違う風が吹いていることを認識しなくてはならない。空高く飛べても、着地の仕方を知らないと、落下してしまう。

能ある鷹は爪を隠す

なぜ、外資環境で良くあるような「成果はどんどんアピールすべき」という価値観に抵抗を覚えてしまうのだろうか。

日本人の美意識の一つに「能ある鷹は爪を隠す」という価値観がある。おそらく、それが影響している。一生を掛けて一つの職能に全てを注ぐ、刀鍛冶や表具師、指物師のような職人に、そして彼らが持つ崇高な技術に、憧れを抱いてしまうのかもしれない。

日本のソフトウェアエンジニアの市場にも、評価制度やソフトスキルに興味がなく、ただひたすら技術力の向上に全てを注ぐ職人のようなソフトウェアエンジニアがいる。実際自分が日本の職場で働いていたときにも、そういう人には何人にも出会ってきた。彼らの技術力は尊敬しているし、実際一部の職人によってサービスが回っていた、という話も珍しくない。

そのような職人気質の人の努力の結晶と成果は、自然と露見していくケースもある。でも、それが人の目に見える形になるまでには、それを支えてくれる環境が必要であるし、その成果を宣伝してくれる上司や経営層の存在が必要である。再現性は、無い。

キャリア論や自己成長をテーマとした書籍を読んでいると、「素晴らしい成果は自然と目に見える」と主張している言説に出会うことがある。プロダクト開発の文脈では、「最高のプロダクトは、マーケティングなどすることなく勝手にユーザーを獲得する」と言い換えることもある。

しかし、それはあくまで一部の経験の結果論であり、再現性のあるシステムでは無い。その素晴らしさを広げてくれる最初の熱狂的なファンが必要である、かつそのネットワークと影響力を持っているファンに勝手に探してもらって熱狂してもらう必要がある。針の穴に糸を通すより、難しい。なぜなら、まずは針を探してこないといけないからだ。

能ある鷹は爪を隠す、かもしれない。でも、一生かけて磨いたその美しい爪は、価値を発揮することなくこの世から消えてなくなってしまうかもしれない。気高き孤高の爪は、自己満足以上の存在に、育たないかもしれない。

鷹にも鷲にもなれない鳥

正直に告白しよう。私は自分の成果を宣伝することが大の苦手であり、かといって誰もが認めるような隠れた職人でもない。鷲のように気高く羽ばたくこともできない、かといって鷹のような爪も持っていない。日本人としての価値観に中途半端に後ろ髪を引っ張られながら、気流の吹き荒ぶ荒地で、右往左往している。それが、私だ。

この数年、鷲のようになろうとも鷹のようになろうともしながら、結果としてどちらにもなれなかった日々が続いた。たくさんの人の助言と叱咤激励を受けながら、あらゆる試行錯誤をしてきた。そんな中で、最終系では無いにしろ、自分に合った形が少しずつ見えてきた。だから、それを紹介したい。決して完成系でも最終系でも無いけれども、同じような悩みを抱えている人にとって、何か新しい視点を提供できるかもしれない。

「どうしたら評価されるか」を考えるのでは無く、「どうしたら評価されないか」を考える。そして、ボトルネックを一つ一つ潰していく。「どうしたら成功するか」ではなく、「どうしたら大失敗しないか」を考える。大玉を狙いにいくのではなく、大穴を避けていく戦略。

ヒントは、Charlie Munger の "Inversion Thinking" 、すなわち「反転思考」から得た。稀代の投資家である Charlie Munger は、数ある投資哲学の一つを「どう成功するかではなくどう失敗しないかを考える、どう天才になるかではなくどう馬鹿にならないかを考える」と述べた。基本はその哲学をそのまま踏襲している。

また、Nassim Nicholas Taleb の "Antifragile" にも影響を受けている。彼は、普段は平均的な投資スコアを導き出しながら、Black Swan のような大きなイベントが起こったときにどう大負けしないか、という考え方を同タイトルの書籍で展開している。そこにも Inversion Thinking と同じような「失敗する芽を潰す」と言う共通項を見出せる。

例えば、数年前に初めて外資環境に飛び込んだ私は、技術力ではなんとか喰らいつけていけたが、圧倒的な英語力の不足を感じた。それによるソフトスキルとプロジェクトマネジメント能力の欠如により、まずは基本の言語能力を鍛えることに注力した。ソフトスキルの中でも、英語力に注力する時期、ステークホルダーマネジメントに注力する時期、と徐々に改善エリアをずらしてきた。その時の自己評価を元に、「最低限できないとヤバい」領域を見定めてきた。しばらく経つと、今度は技術力の方がボトルネックになりつつあることを感じたので、改めて技術書を読む比率を増やした。

渡り鳥のように

私はその考え方に「渡り鳥」志向と言う名前をつけた。爪を隠す日本の鷹でもなく、空高く舞う欧米の鷲でもない。

渡り鳥は、自分の限界を知っている。環境の境界線とそこで手に入る餌の限界量を知っている。厳しい冬の到来と、暑い夏の切り替わりという季節の移り変わりを知っている。今の環境で生きられないという時期が来たら、未練なく、飛んでいく。

そして、一人ではなく集団で行動する。群れを成して、その美しい姿を夕日に映えながら、西方の彼方に飛んでいく。一人では何もできないかもしれないが、集団の強さを知っている。自分の限界を、群れで超えていく。

弱みを潰していくので、意外と色々なプロジェクトで重宝される。それぞれのプロジェクトの代名詞のような強烈な立場は取れないが、幅広い機会に呼んでもらえる。強みはないが、安定感のある成果を出すメンバーとして信頼を積むことができる。もちろん、その自然の帰結として現在は上司から「次は強みを見つけよう」というように言われているが、逆にいえば「特に弱みがない」人材として評価されている。

この戦略の特徴として、自然とジェネラリスト型に落ち着きやすい傾向になる。強みを磨くのではなく、弱みをつぶすキャリア戦略なので、それは当然の帰結だ。幸い、技術畑におけるジェネラリストになることは本来の自分の目標志向とも合致していたので、その点は欠点とはならなかった。

渡り鳥が「渡り」をする理由。それはシンプルだ。生き抜く。生存していく。気高く生きることも、勇猛果敢に飛ぶことも捨て、ただ、死なないことを考えた、生存戦略。その単純な生き方に潜む、無知の自覚と仲間への信頼。その二つに、なんとも言えない安心感を覚えてしまう。

どこへ行くか。誰と行くか。アフリカの諺に「早く行きたいなら一人で行け、遠く行きたいなら仲間といけ」という諺があるが、さて、どこまで飛んでいけるだろうか。これも一つの人生を賭けた実験である。

2024-06-30