本は知識ではなく体験を買う

読書とは体験であり、人は知識を獲得するだけの機械ではない

人はなぜ本を読むのか。知識をつけるために本を読む、というのはわかりやすい目的の一つだ。しかしながら、インターネットを通じて数々の知識にアクセスできるようになった21世紀現在、知識を有することの価値は低減している。知識を得るために本を読もうとすると、速読の力に頼ったとしてもコンピューターや集合知には敵わない。私は今まで読んだ本をスプレッドシートに記録しているのだが、社会人になってから千冊も読むことはできていない。

ではなぜ私は本を読むのか。それは、読書体験を通じた人格の形成にあるからだ。小説を読むと、主人公や登場人物の気持ちに感情移入して気分が高揚する。旅行記を読むと、自分が同じ旅程を辿っているかのように別の人生を体験する。哲学書を読むと、人生の意義を探究する過程で今までの人生を振り返る。

本とは、一ページ目から最後のページまで一字一句読んで中身を記憶するための情報伝達手段ではない。本という媒体を通じて、読者に体験を提供するためのデバイスなのだ。

したがって、買うだけで役目を果たす本もあるだろう。積読してタイトルが常に目に見えるところに置いておくことに意義のある本もあるかもしれない。常に旅行先に持ち歩くことで安堵を与えてくれる本もあるだろう。読み切るだけではなく、友人と議論をして初めて価値を発揮する本もある。「つまらなかった、もう読まないぞ」という喪失感を与えるために手に取った本もあるはずだ。

片付けコンサルタントで有名な Marie Kondo さんは、「ときめかない本は思い切って捨てよう」という趣旨のことを提案している。これは、まさに本を「体験をもたらすもの」として捉えている証拠だろう。

2023-11-15