経験を積み年次を重ねるにつれ、一般的に人は恥じらいを捨てづらくなっていきます。僕は、幾つになっても正しくあることを優先したい。自分が恥を一つや二つかいたところで、世界からしたら全く損失では無い。「恥を恐れない」マインドセットになることができると、自分が不得意だったり苦手だったりする領域に、挑戦しようとする心になります。
最近 Podcast を始めようと思ったのも、話し下手の自分を克服したいという気持ちから始めています。二、三ヶ月前に、"世界最高の雑談力"という本を読みました。岡本純子さんという、コミュニケーションやスピーチのスキルについてコーチングされている方が書いた書籍です。タイトルからは一見 How-to が並べられただけの本かと思ったのですが、読んでみて私の印象は変わりました。
How-to 本は避けます。「あれをするべき」「これをするべき」というべき論が書かれていても、正直そういった本に書かれている手法って、自分の頭で少し考えたら思いつくようなことが半分くらい。読んでいると、「どうしてこんな当たり前のことを言われないといけないんだ」という気持ちになってしまうのです。
僕が知りたいのは、著者の方がどうしてそのアドバイスをしているのか、どうしてそれが良いと思うに至ったか、その過程とストーリー。誰でも、イチローや本田圭佑と同じ言葉はを紡ぐことができます。その内容が知りたいのではなくて、なぜその How-to に思いを込めているのか、その人の経験談から築き上げられたストーリーを読みたいのです。
この本は、確かに How-to が書かれているのですが、それは何故そう思うのか、過去のコーチングや著者自身の経験から実際にどうだったのかも合わせて書かれていました。「恥じらい」に関して記述された一節をその本から紹介します。
「恥ずかしがり屋はどう克服できるでしょうか」... 「あなたの目の前には「鏡」があり、あなたはいつもその「鏡」ばかりをのぞき込んでいるのです。 ... シャイな人というのは、「人からどう見えるか」と他人の視線ばかり気にして、目の前の「鏡」に映る自分の姿だけを見続けている状態
「恥じらい」というのは、他人からどう思われたいか、そのギャップが生まれたと自分が思ったときに感じる感情です。他人というのはあなたにそこまで興味がない。他人は相手の変化に気づかない。恥じらいとは、本人が勝手に妄想して恥じらいを感じている、とさえ言えるかもしれない。その感情にうつつを抜かしているほど人生は無限にあるものでははない、と思うのです。
旅の恥は掻き捨て。この諺の意味するところは、「旅先では知人もいないので恥ずかしい言動も平気でやってしまう」というネガティブなものですが、少し考えを変えてみましょう。人生なんて旅みたいなもの。旅行者である自分が恥をかいたところで、誰も困りません。それよりは、人生で真に達成したいこと、旅先で本当に経験したり到達したりしたい場所へ行く時間を、優先していきたいものです。