Raw Life, Simple Life, So Nice

私たちはつい、「もっと良いものを手に入れたい」「もっと稼ぎたい」と思ってしまう。

周囲と比較して、自分が足りないものに目が向き、他人が持っているものが欲しくなる。隣の芝生は美しく手入れされていて、一方自分の庭は劣って見えてしまう。社会は常に「More is Better」を求め、効率や生産性を上げることが善とされる。

でも、本当にそれが幸せにつながるのだろうか。ふと立ち止まって、考えることが、ある。

Raw Life: 手の温もりを感じる

現代、特に東京やロンドンのような先進国都市に住んでいると、ほとんどのものが効率的に作られた「均一なもの」に囲まれていることに気づく。整頓された商品棚。チケット券売機で流れるように回転するレストラン。人をこれでもかと押し込める高層ビル。時間通りに動く公共交通機関。

でも、工業製品ではなく、人の手の温もりが感じられるものには、特別な魅力がある。

例えば、プラスチックのマグカップではなく、職人がひとつひとつ手作りした陶器のカップを使う。形は少し歪んでいるかもしれない。でも、その歪みこそが、作り手の個性や物語を感じさせてくれる。

食べ物も同じ。スーパーで買った大量生産のパンではなく、小麦粉と塩と水だけでシンプルに作られた手ごねパン。その素朴な味わいには、シンプルだからこその深みがある。

コーヒーだって、そう。手動ミルで丁寧に豆を挽き、お湯が浸透する時間をアロマと共に味わいながら、たっぷりと時間をかけて、そっとお湯をおくように、ドリップコーヒーを淹れる。アフリカから直送された高価な豆を、カプセルでボタンひとつで飲むことができる便利さには敵わないかもしれない。でも、そこには淹れた人のストーリがある。美味しく飲んでもらいたい、という気持ちが乗る。

こうした「Raw」なものは、数が少ないからこそ、一つひとつに愛着が湧く。効率を求めるのではなく、手間を楽しむ。それは "Less is More" の精神ともつながり、より豊かな時間を生み出してくれます。

Simple Life: 「足るを知る」心地よさ

「もっと、もっと」と追い求める代わりに、「今ここにあるもの」で満足する生き方を選ぶ。これは日本の武士道や禅の精神に通じるものがある。何かを削ぎ落とし、シンプルな生活を大切にすることで、「今」をより豊かに感じられる。

例えば、無理に豪華なものを求めるのではなく、今ある一杯のお茶をじっくり味わう。最新のガジェットを追い求めるのではなく、長年使い込んだ道具を手入れしながら大事に使う。「足るを知る」ことで、余計な心のざわめきが消え、穏やかな時間が生まれてくる。

スマートフォンやコンピュータは、毎年のようにバージョンアップデートしていく。メモリは増え、CPU は逞しく計算速度を上げ、新しい色や新しいスクリーンの形が巷を賑わす。そんな中で、五年前の型落ち機種を、メンテナンスしながら丁寧に使う。余程のことがあるまで、買い替えない。そんな "Slow" なテックとの付き合い方だって、居場所があっても良い。

"I have enough" の精神は、友情関係にも恵みをもたらす。大好きな人たちとの、爽やかで流れていくような時間。コーヒーを片手に、時に笑い、時に悩みを共有する、その場の共感覚。自分は素敵な友人たちに囲まれている、そう気付いた時、目の前の一杯が、より一層美味しく感じてくる。

So Nice: シンプルな幸せ

結局のところ、本当に心地よい暮らしとは何だろうか。

それは、大量消費の波に流されるのではなく、自分にとって大切なものを選び、じっくり味わうこと。そして、日々の暮らしのなかで、ちょっとした満足を見つけること。

Raw Life で「手の温もり」を感じ、Simple Life で「今」に集中する。そうすると、何気ない日常が、驚くほど豊かに、そして「So Nice」に感じられる。

"Being rich is different from being welathy." と、どこかの誰かが言っていた。豊かさとは、手にとって育むものであり、五感で愛でるものであり、目に見えない大切なものである。お金で解決できるものは、確かにある。お金があれば、人生は「楽(らく)」になる。でも、お金で解決できないものにこそ、価値がある。Tangible か Intangible か。豊かな気持ちと豊かな人間関係があるからこそ、人生は「楽しく」なる。

シンプルに生きることは、決して何かを我慢することではなく、本当に大切なものに気づくこと。今日も、目の前にある小さな豊かな時間を、そっと味わってみたい。

2025-02-01