Right Attitude as Amateur

You cannot be a professional in every domains, but you can be amateurs in every domains. By that if you understand how to be a great amateurs, you will learn a lot.

専門を極めることで第一人者となる。それは至ってわかりやすいキャリアの磨き方だと思う。その一方で、本当に一つの道を極めるためには人生を捧げる必要があり、そこまでの情熱を持ち続けられる人はなかなかいないんじゃなかろうか。

専門特化を求めるのは、社会というシステム全体としてみた時に、至って効率的な仕組みだ。システムの構成員がそれぞれの専門領域を磨く。社会の発展や文化の進展によって求められる技能はその時々で変わってくる。今であれば AI 人材だし、数年後には別の専門領域かもしれない。寂れた業界のプロフェッショナルは、システムという観点で見た時に、掃き捨てれば良い。代わりの人材はいくらでも、いる。そうして経済は発展してきた。

しかし。そのシステムの構成員である一個人として、システム全体の進化という目的に合致しながら、専門領域に特化しすぎず、時代の変化についていけるためには、どのような基本技能が必要なのだろうか。それは果たして「一つの技能の第一人者である」では決してない。では何なのだろうか。

それは、「素人であり続ける技術」ではないだろうか。一つの技能を極めるより、素人であり続ける道を、提案してみたい。

What are the right attitude as amateur?

ここで問いたいのは、「素人としての正しい姿勢は何か」という疑問だ。僕の考えを示す。

第一に、好奇心を胸に持ち続けること。歴史を振り返っても、新しいことを知りたい、知らない世界を探検したい、という好奇心が、人類が未踏の地を開拓する強烈な動機であった。自分が知っている領域に固執するのではなく、知らない事実に向き合うことに、興奮を覚える。

第二に、謙虚さを失わないこと。素人であるということは、過ちをたくさん犯すということだ。失敗を繰り返すということだ。恥ずかしい思いを積み重ねるということだ。自分は間違っている、何も知らない、そう後ろ指を立てられることばかりだろう。だからこそ、「自分は知らない」という前提から歩み始めれば、何も怖いものはない。

面白いのは、素人になることは簡単であり、素人は有象無象いる、ということだ。端から見た時に、今まさに水面から顔を出そうとしている未来ある魚なのか、果たして泳ぐことを諦めてしまった魚なのかは、時間をおいて判断してみないと、わからない。

2024-11-03