子どもに決して I'm proud of you と言わない理由

子育てって難しくないですか?何が難しいかって「何が正解かわからない」こと。巷にはあらゆる教育本やリサーチ結果、主張や手法があふれているけれども、自分にとって最適な方法はなんだろうか、試してみないとわからない。

でも、実は「正解」なんていうものを求めることをそもそも辞めた方が良いのでは、と思う。大人が思う「正解」というのは、要するに大人である自分が子どもにこういう風に育ってほしい、という理想を追求している。そして、その道から外れた生き方は「不正解」となる。なので、大人である親の自分の理想を可能な限り排除する、というのが悩める父親である私の個人テーマなのだ。

子供と接していると、「こいつ凄いな!」とか「頑張ったな!」と感心することがある。いつの間にか自分で洗濯を畳めるようになっていたり、朝起きたときに布団を整理したり、パンケーキをひっくり返せるようになったり、LEGO のお城を組み立てられるようになったり、学校で賞をもらってきたり、友人との喧嘩を乗り越えてきたり。

自分が子どもに対して持っている期待に対して、大きく超えてくる時がある。単純に嬉しいし、褒めたくなる。そこで、子供をどう褒めるかが重要なのだ。「子供の褒め方」なんて本もたくさんあるが、今の僕が大事にしていることは一つ。褒める主体が、親ではなく子ども自身であってほしい

例えば、イギリスで子育てしていると ”I'm proud of you" "Great job" というように、「僕はあなたのことを誇りに思っているよ」という褒め言葉をよく聴く。日本語にすると、誇りだなんて結構固い言葉のように聞こえますが、英語だと割とフランク。そして、僕は決して "I'm proud of you" と言わない。代わりに、"You must be proud of yourself" と言う。

何か素晴らしいことを達成した時、子どもは自分自身のことを大いに誇りに思うべきだと思う。大いに自己満足に浸って良いと思う。でも、それは「親が誇りに思うから」ではなくて、あくまで自分で自分を誇りを持ってほしい。親の期待や周りの偉い大人の期待値なんて、関係ないわけ。親の誇りなんて、親の奢り。そんなもの、捨ててしまえ。

自分が自分で持つ、自分のモノサシを、大事にしてほしい。これはこれで一種の期待を押し付けていると言えなくもないが、僕のモノサシという期待を押し付けるよりかはましだろう。

2023-05-05