渡英して4年が経過した

前回のブログはこちら:

現時点での心境を振り返る。

惰性と慣性が日常を支配し始める

渡英当時は全てが真新しい体験だった。街を歩くにも、そこらへんにある普通の建物が無駄にカッコよく見える。ヨーロッパの建築は歴史があって美しい。その街並みを歩いているというただそれだけのことに惚れ込んでいた。新鮮な毎日だった。街中でコーヒーを外国語で頼むのも苦労した。レストランで食べるのだって背伸びした体験だった。家賃の交渉や契約締結なぞ至極難題で、あらゆる日常がコンフォートゾーンをはみ出した挑戦の連続だった。

しかし、四年も住んでいると惰性で日常をこなせるようになってくる。文化のプロトコルを理解し、それに沿って行動することが当たり前になってくる。問題を起こさず、それでいて便益を被りながら生きていくことが全く普通のこととなる。Settle-down した状態だ。

そしてその状態は、心地よい。よほどのことがない限り問題が起きないため、日常に平穏が訪れる。平和で、安定した日々の連続となる。

そしてそのうち、惰性で行動し、慣性が支配する日常の中にいる自分を発見する。"Thinking, FAST and SLOW" を書いた Daniel Kahneman の言葉を借りると、System 1 Thinking で対応できることが多くなってきた。Sytem 2 Thinking に頼らずとも、平々凡々なライフを実現できるようになってくる。そんな中で、果て、自分は挑戦できているのだろうか。成長できているのだろうか。理想を追求できているのだろうか。と問う瞬間が訪れるようになってきた。

イギリスの生活に飽きたのか、というと少し違うかもしれない。飽きる、というのはすでに経験したことを再三と繰り返す中で、新しい経験を積むことができない状態だと理解している。そういう意味では、イギリスではまだ訪れていない都市もあるし、食べていない料理もあるし、経験していない文化体験もあるという意味で、経験しつくしたわけではない。

どちらかというと、期待と実際の乖離が予測可能な範囲になってしまったことだと思う。イギリス生活という大きな枠組みを一つのシステムとして考えたときに、そのシステムが動く方向をある程度予測できるようになってしまったがゆえに、期待値を大きく超えてくる経験に出会うことが少なくなった。システムを構成するパーツへの理解が進んだので、予測が大きく外れなくなった。経験したことがない事柄でも、どことなく結果が予測できるようになってしまった。未来に飽きた、という言い方でも良いかもしれない。

他国と比較し始める

そんな中で、大きな転機となったのは、北米圏に移住する可能性が急に浮上してきたことだ。詳しい経緯はここでは伏せるのだが、かいつまんでいうと、北米のチームから移住前提で誘われた。

さて。驚くことに絶妙なタイミングで舞い込んできたこの話に、心は大きく揺れ動いた。北米の中でも選択の権利があったので、かなり現実的に移住の選択肢を検討し始めた。友人や知人に繋いでもらい、現地に住んでいる人や住んだことのある人に話を聞きに行った。各国の違いを、マクロデータで比較検討し、教育から経済、移民政策から住宅環境について調査をした。

ここまで書くと、もしかするとこのブログが北米移住の告白文のように読めるかもしれない。しかし、自分でも驚くことに、僕はその後自分自身の思いでこの申し出を辞退することとなる。

居住国の魅力の再発見

きっかけとなったのは、夏に訪れたドイツ・ベルリンとオランダ・アムステルダムでの体験だった。それぞれの都市に友人が住んでいたので、彼らを頼りに、イギリスにいる間に少しでもヨーロッパを見ておこうと、旅をしたのであった。

その旅が、僕の決断を変えたと言っても過言ではない。六時間にわたる電車の中で思索に耽る時間があったからかもしれない。そこで再会した友人たちとの思い出が輝いていたからかもしれない。シンプルにヨーロッパの他都市を回りたくなったからかもしれない。その全てが理由かもしれない。

その中でも一番意外な理由として発見したことがある。それは、イギリスという国を、ヨーロッパの悠久の歴史を作ってきた重要なプレーヤーとしてみたときに、その文化を構築する本質的な理解がまだ足りていない、という愕然とした自分の無知さに気づいたからであった。第二次世界大戦で筆舌に尽くしがたい経験をした敗戦国・ドイツから見える戦勝国としてのイギリスの立ち位置。シティを擁しヨーロッパの金融の中心地としての地位を気付きながら、テック産業におけるスタートアップの勢いや、鉄道をはじめとするインフラの構築においてフランスやオランダに後塵を拝す経済負け組としてのイギリスの立ち位置。ヨーロッパの他国の目線を変えることで、実は多角的なイギリスという国を全く理解していないことに気づいたのであった。

正直それは歴史の浅い北米では語り得ない問いである。この西ヨーロッパに眠る悠久の歴史に、もう少し想像のタネを植えつけてからでもイギリスを去るのは遅くない。そう感じたのであった。

親友との再会、新しい出会い

しかし、何よりも一番大きな理由としては、親友との再会、そしてイギリスで出会った新しい出会いの数々の再認識であった。オランダに住む大学時代の親友とは、久々に顔を合わせてじっくり話すことができた。その中で、大学時代の自分も思い出すことができた。当時抱えていた理想や夢を、十年越しに再確認することができた。

イギリスでも、多くの良い出会いがあった。現地の学校や日本語補習校でも素敵な出会いが数えきれないほどあった。僕はまだ、彼ら・彼女たちと話し足りない気がする。より分かり合えることがある気がする。ヨーロッパを見てみても、各国にもっと語り合いたい・理解しあいたい多くの友人家族が住んでいる。北米に行ったら、距離が遠くなってしまい、またゼロから気の合う人を探して行かなくてはならない。それはそれで楽しいけれども、アメリカにもカナダにも会いたい人はいるけれども、まずは、今自分の周りにいてくれる貴重な人たちと、もう少し思い出を作ってからでもいいんじゃないだろうか。そう気づいたのであった。

何にワクワクするのか

僕は基本、楽しいことをしたい、というモチベーションで生きている。特に楽しいことは、自分にとっての未知を知に変える瞬間を体験すること。そして、知的好奇心を満たすことは贅沢だという前提で、知的好奇心を満たし続ける人生でありたい、という欲求を持っている。その知的好奇心を満たすためには、自分の殻を打ち破り、枠の外で考え、自分を崖から突き落とさねばならない、という考えを持っている。

そしてそのために、「他国に移住する」というのは、日本からイギリスに移住した時点では、簡単にコンフォートゾーンを抜けられる手段であった。しかし、それを一度経験した今、イギリスから北米圏に移ったところで得られる経験とチャレンジの機会というのは、構造的には大差がないので、外部起因でのワクワクする経験は、そこまで大きくないのではないか、と結論づけた。

それよりも、自分の内在的な価値をベースに、ワクワクするような環境を自ら創造していけないか、その方が今の自分にとっては足りないスキルであるし必要な経験なのではないか、と思っている。今まで、環境を変えることで成長するように動いてきた自分が、あえて環境を変えないことを選んだという意味で今までにない新しい人生のチャプターである。さて、次の三年間で、どこまで何を達成できるだろうか。

2024-10-06